いつもあるべき姿がいないというだけで、
こんなにも気に掛かるというのも、
以前の自分には考えられない事だった。
視線を移せば、
本来、そこに座って普段通り仕事をしている主はおらず、
朝から空席のままである。
おかしなものだ…と斎藤は思った。
煙草を一本取り出し口に銜えた時、
「何だ、いねぇのか?」
心の中で溜息を吐きながら、煙草を箱に戻し、
斎藤は席から立ち上がる。
入り口から端正の顔立ちをした男が
入って来るや、
「折角、ここの秘書さんの顔を拝みに来たってのによ」
肩を竦めて、いかにも残念そうに漏らすのは
副社長の土方である。
「嫌味な上司に愛想尽かして、外出でもしてんのか?」
「風邪で寝込んでるそうです。
今朝、電話が入って今日は一日休ませました」
「まぁ、日頃からストレス溜まる上司と一緒じゃ、
そりゃ体力も奪われるだろうよ」
それと全く同じ台詞を目の前にいる者に
自分からも言いたいところだが、
内心思っていても、
斎藤は口に出さず無言で受け流した。
「あいつが風邪などひくのは自己管理がなってないせいです。
これから外出する予定がありますので、
失礼します」
スーツの上着を着終え、必要な書類を持ち、
斎藤は早々と自室から出てゆく。
「何が自己管理がなっていねぇから、だ…?」
灰皿には、いつもの倍以上に山のような吸い殻。
数多の書類は、きちんと片付けられ整理されている。
一人残った土方は呆れたように呟いた。
充分すぎるぐらい、過保護じゃねぇか…
玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けて
立っている上司を見た時、彼女は本当に驚いた。
寝間着の上に半纏を羽織った姿で、
思いの外、顔色も悪くない彼女に、
内心安堵しながらも斎藤は
いつも通り、無表情で見下ろす。
「部長?…え?いつもなら終業時間過ぎても、
まだこの時間には会社に残って…な、何?」
突然押しつけられた、コンビニの袋に、
ますます驚き、彼女は、おそるおそる中身を見た。
風邪薬、しょうが湯、清涼飲料水、みかん、お粥…
などの『風邪対策グッズ』が、いろいろ入っている。
「阿呆は風邪ひかないと言うが…。
確か去年のクリスマスにもひいていたな」
「部長、それは違いますよ。それを言うなら…って、
そうじゃなくて、お仕事はどうしたんですか?」
「余計な心配するな。
しかし、それほど重症という程でもなさそうだが…」
ふいに彼女の額に触って来たので、
彼女は驚いて、反射的に一歩後退してしまった。
上司から、というよりも男性から、
いきなり触られる事に、どうにも慣れていないのである。
「その、午前中寝ていたら治りました。
昨夜は、つい炬燵で寝てしまって、朝起きたら、
熱が出ちゃって…」
「炬燵で寝た、だと?」
眉を寄せた上司に彼女は気づかない。
「あ、こんな所で、すいません。どうぞ入って下さい」
やっぱり自己管理がなってないせいだ、と斎藤は
思いつつ、
言われるまま、靴を脱ぎ、
勝手知ったる彼女の部屋へと入って行ったのだが――
「何だ、これは?」
炬燵の上には、
お菓子が袋を開けられた状態で、
山積み状態である。
食べかけのアイスクリームも、あった。
「今、ご飯もパンも切らしちゃって…
でもお腹が空いたんで、買い溜めしてたお菓子を食べていました。
結構、お腹いっぱいになるんですよ」
いつもは自炊してるんですけどね、今日ぐらいは…
あ、部長が買って来てくれたお粥がありましたね、
と笑って上司を見れば、
冷笑を浮かべ腕組みし、立っている。
こういう笑みを浮かべた上司に、
この後、自分の身に降りかかる展開が過去の経験上、
嫌でも分かっている彼女の笑みが強張った。
「こんなモノで栄養が取れると思っているのか?
言っておくが、明日は休ませんぞ。
お前の仕事は今日一日で、山ほど溜まっているんだからな」
「……あ、あの、何だか熱が上がって来たみたいです。
今から休みます、はい」
と、その場から自分のベッドへと戻ろうとしたが、
待て、と腕を取られ、容易く引き戻される。
「熱が上がってきたなら水分補給し、
汗をたっぷりかいて下げなければならないというのが、
確か風邪の処置方法だったよな?」
「そ、そうっ!!そうですよね…」
さすが部長、よく御存知です、と
あわよくば、ご機嫌を取ろうとしても、
すでに手遅れ…というより、
斎藤相手では効果は全くないのだが。
「本当に、お前は良い上司を持って幸せだな。
協力してやる」
着ていた半纏はいつの間にやら、
足元に落ちていて、
首筋に唇が下りてきて
いつもの如く意地悪そうに呟いた声に吐息に
本当に目眩がしてきた彼女だった。
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あとがき
去年から持ち越しの20000HIT御礼駄文、ようやくUPしました。
(いつも遅くて、本当にすいませんっ!!)
風邪ネタは去年のクリスマス駄文にも書いてしまいましたが、
秘書さん、よく風邪ひく体質です。
(設定がマンネリなだけだろう…汗)
斎藤先生、こんなに心配してくれるのかしらね〜?と
首傾げながら書いておりました(オイ)
次回は、長引かせすぎの「沙羅」を書きますよ〜
(真夏の話なのに、真冬に書いてどうすんだ?
季節はずれもいい加減にしろ、という感じなんですけど^^;)