この会社に入社して、すでに数週間が過ぎました。
まだまだ半人前の私ですから、お掃除、お茶出しなどなど、
ほとんど雑用で一日が終わっている感じです。
そして今日も…
「田中さん!!」
私よりも遙か先に入社していた厳しい女性は、
私の教育係を任されたらしく、
いろいろとお仕事を廻してくれるのですが。
「この会議資料を10時30分までに全部コピーしてきて頂戴」
私は時計を見て、
「あのぉ…もう15分ぐらいしかないのですけど」
それでも間に合わない程の量だったのです。
「さっさとやって来なさい!!」
「……はい」
何とか大急ぎで5分前にコピーを取り終えて、急いで部署に戻ろうと
駆け足で走っていたのですが、
余程焦っていた為に、前方から来る男性に気づかず、
ぶつかってしまいました。
その反動で、当然コピーの束が床に落ちます。
「す、すいません!!」
謝りながら、慌てて床に落ちた資料を拾う為に、
私は屈み込みました。
もう間に合わないかもしれない…
また怒られる…。
諦めと情けない気持ちになりながら、
拾っていたのですが、
頭上から声がしたのでした。
「今日の会議資料だな。
副社長の都合で、午後に延期になった筈だが…」
延期?
天啓ともいえるような低い声に、私が見上げた時、
ぶつかってしまった男の人が、そこにまだいたのです。
足元にあった資料を一部拾って見ていました。
入社式の時分に、見たような、見なかったような…
「聞いてなかったのか?」
鋭い目で聞いてきたので、
「は、はいっ」
思わず頷いてから、
今日の会議は上役の人が多い事を思い出し、
それじゃあこの人は、誰なんだろう?と考えていた時。
「斎藤部長?」
「ああ、丁度良い所に来たな。拾うの手伝ってやれ。
…会議が延期になって良かったな」
そう言って行ってしまい、
私は『斎藤部長』と呼ばれた人の後ろ姿を見ておりました。
「大丈夫ですか?」
我に返ると、先ほど声を掛けてきた女性が屈み込んで、
散らばっている資料を拾ってくれています。
「あっ、すいません!!」
私も慌てて残っている資料を拾ったのですが…
やっぱり気になって。
「……あの、さっきの方は『部長』なんですか?」
手伝ってくれている感じの良さそうなこの女性に尋ねてみました。
「ええ…。私は、その秘書をやっているんですけど」
「羨ましいですね…。ああいう人の下で働けたらなぁ…」
「……………こうやって、みんな騙されるんだわ」
「え?」
聞き返した時に、何でもないですと言いながらも、
秘書の女性が強張った表情になったのは何か理由でもあるのでしょうか?
全て拾い終わり、改めて礼を言ってから、
部署に戻ろうとしたのですが、
エレベーターに乗った際、
秘書の女性は複雑そうな表情で私を見ている事に
気づきました。
私が会釈をすると、彼女も軽く頭を下げて、踵を返し帰って行ったのでした。
この会社でも、良い事があるかもしれない…
そう思えてきたのでした。
「部長が、もてる理由が分かる気がしました」
窓から外の景色を眺めていた斎藤に向かって、
彼女は言った。
平静な声にしようとしたのに、つい口調が荒っぽくなってしまう。
「気になるか?」
「べ、別に、そんな事は、ありませんっ!!」
「どうだか…」
本当に嘘が吐くのが下手だな…
振り向いた上司は嗤った。