コピー機から最後の一枚が、ゆっくり出て来ると
先にトレイに載せられて束となっていた上に重なる。
すかさず全てを取り出すと、机の上で叩いて端を整え、
用意していた茶封筒に入れた。

「これで書類は全部よね?」

他に何か忘れているものは、ないだろうか…?
彼女がしきりに頭の中をめぐらせ
眉間に指を押し当て考えていると、

「何を考え込んでいる?
持ってゆく物は、全て揃えたか?」

背後から声を掛けてきたのは、上司である斎藤だ。

「あ、はいっ!!
書類等は、こちらに準備しました。
それにしても、取引先の企業でプレゼンなんて…
急なお仕事が入ったものですね。
今日は何時頃、社に戻られる予定ですか?」

机の上にスーツケースを置き、手早く必要な物を入れ終えて、
静かに蓋を閉めると、

「何を言っている?
今日は秘書も同行するんだ」

斎藤は、当然のことのように言った。

「………え?
そんな事、私、一言も聞いてませんが」

正真正銘、初めて聞く言葉だ。
斎藤の持ち物を準備するのに手一杯で、
当然の事ながら、自分の物は何一つ準備などしていない。

「いいから、ついて来い。
おい、おたおた狼狽えてないで、
必要最低限の物だけ用意しろ。
下で車が待っている。
とにかく、早くしろ」

「は、はいっ!!!」

上司の催促に、
取る物も取り敢えず、自分のバッグだけを手にして、
追い立てられながら同行する彼女だった。

 

…急な事で驚いたけど…

慌ただしく社用の車に乗せられ、
斎藤の隣に座り、彼女は考える。

部長と一緒に外出が出来るなんて、
ちょっと嬉しいかもしれない…。
もしかして、部長も…?

淡い期待に、ちらりと上司の横顔を見ようと
目をやったが…

斎藤は腕組みし、
眉を寄せ、いつもの不機嫌さに一層拍車がかかった
様子である。

…そんなに重要なお仕事なのかしら?

「あの…部長…」

「何だ?」

呼ばれても、あまり表情を変えることなく、
斎藤は顔を向ける。

「…どうして今日は私も同行する事になったのでしょうか?」

「プレゼンが終わった結果を至急、社に
伝えてもらう為だ。
今日は多くの企業が集まる大がかりなものなんでな」

そうだったのか…。
私一人で浮き足だって…しっかりしないと…。

「分かりました」

しっかり心を戒め、
些かの緊張を感じながら、彼女が小さく吐息を零すと、

「何だ、もう疲れたのか?」

上司は、まだ自分を見ている。
彼女は強く首を振った。

「そんな事ありません!!」

言おうか一瞬、ためらったが、

「先程から…部長が何か考え事をしているようなので、
お邪魔しちゃいけないと思ったんです。
今日のプレゼンで何か問題でも、
あるんですか?」

「……いや。
それより、本当に疲れていないんだな?」

「はい?」

不意に彼女の耳元に顔を寄せてきて、

「昨夜は手加減しなかったからな…」

低い声で囁かれ、
ぼっ!!と真っ赤になってしまった彼女に、
斎藤は、にやりと口端を上げる。

「ぶ、ぶ、部長っ!!」

「違うのか?」

「そ、そんなの…知りませんっ!!
え、ええと…プ、プレゼンのスピーチは…」

上手くはぐらかした人の悪い上司は、
狼狽えている彼女をいかにも楽し気に眺めていたが、
顔を戻すと、また何か考え込んでいる様子だった。

「斎藤様、ようこそいらっしゃいました。
プレゼンは大ホールにて行いますので、ご案内致します。
どうぞこちらへ…」

非の打ち所のない女性とは、こういう人の事を言うのだろうな…と
彼女は一目見た途端、思った。
美しい顔立ちやデザインセンスの良い細身のスーツを着こなす容姿、
知的に見せるメイクの腕もさることながら、
性格は、といえば…こぼれる笑顔から決して悪くないのだろうと、
人に思わせる何かがある。

仕事も出来そうだし…自分とは雲泥の差かもしれない…。

同性の彼女から見ても、素敵な女性と思わせるのだから、
男性から見れば、相当もてるだろう。

「何をしている?さっさと行くぞ」

上司に呼ばれ、いつの間にか立ち止まってしまっていた彼女は、
慌てて、早足で後を追った。

三人で、エレベーターに乗っている間、
しばらくは沈黙状態が続いていたのだが、
不意に口を開いたのは、斎藤だった。

「…奴は、元気か?」

それまで仕事上で装っていた女性の笑みが、
本来の笑みに変わったような気がした。

「ええ、お陰さまで。もしかして今日お会い出来るかも
しれませんよ」

「別に会わなくても構わんが…」

「あら?それは本心…でしょうか?」

くすくす、と笑う女性。
それっきりになった会話に彼女は内心、首をかしげる。
自分の知らないであろう人の話題だったのは当然ながら、
一体、誰の事を言っているのだろう?

「ホールの入り口は、こちらです。
秘書の方は、あちらに控え室がありますので、
そちらでお待ちいただけます」

「一人で大丈夫か?」

ホールに入る間際、斎藤が聞いて来た。

「部長、私は子供じゃありません。
部屋で、おとなしく控えてますから」

どうだかな…?
明らかに、そんな表情を浮かべた上司を見送り、
彼女も部屋へ向かおうとした時、女性が話しかけてきた。

「お待ちいただいている間、退屈でしょうから、
社内見学でも、なさって下さい。
私はまだ仕事がありますので、ご案内は、
出来ないのですけれど…。
控え室には、軽食やお茶やお菓子なども用意してありますから、
ご自由に。足りないものがありましたら、遠慮なく仰ってくださいね」

「は、はいっ!!ありがとうございます」

女性に礼を言い、控え室に入った彼女は、
部屋に準備されている物を一通り見る。

本当に、いたれりつくせりだなぁ…

女性の言った通りに完璧に揃えられている品々を見て、
彼女は感嘆の溜息を漏らした。

他の社の人間も当然、控え室で待っていて、それぞれに寛いでいる様子で、
用意されていたコーヒーを飲みながら、
持ってきた書類に一通り読み終えるまで、
彼女は座っていたが、
ふと部屋を出てみることにした。

すでにプレゼンは始まっているのか、
廊下には人もまばらで、静かだ。

ホールの周りを歩いていると、外の風景が一望出来る扉を
見つけた。

外の空気でも吸ってみようかしら?

そんな考えが浮かび出て行こうとすると、
すでに先客がいるのに気づく。

フェンスに寄りかかり、顔を上空に向け、
飛ぶ雲を見上げている。

扉の開く音に気づいたのか、上を見ていた男は、
ゆっくりと彼女に目を向けた。
品のある端正な顔立ちの男だった。
土方とは、また違う。

一瞬、彼女は足を止めてしまったが、

「いい景色ですよ、ここ」

微笑みにつられ、彼女は慌てて頭を下げる。

「す、すいません。お邪魔しちゃって…。
あの…プレゼンに出なくてもよろしいのですか?」

「まだ順番じゃないんでね…。
少しの間、サボっていたんです。プレゼンより、
こうやって風に流れてゆく雲の様子を見てた方が面白いと思って…」

「…はぁ」

変わった人だな…と思った。

「ただの水蒸気の固まりなのに、どうしてあんなに
白い綿のように柔らかそうに見えるのか…。
とらえどころのない自然のものを、先人たちは、
どんな風に見ていたのか…
それは現在残っている絵などを見れば分かるかもしれないが、
その想像力を形にしたものは、単にいつも見る自然だけで
果たして描ききれるものなのだろうか…?
そもそも森羅万象とは…なんて、
いろいろと考えてたらキリがなくなってしまいましてね」

「そうですか…」

ぽんぽん言葉を述べられ、彼女は目を丸くして、
ぼんやり頷きながら、返事をするしかない。

「さぞ、おかしな男だと思いますよね?」

男が、いたずらっぽく聞き返す。

「いえ、…その…男性で、そういう事を考えるのは、
素敵だと思います」

彼女は素直に感想を言ってみた。
ありがとう、と男は照れたように微笑み、

「ところで、あなたの方こそ、プレゼンに出なくても
いいんですか?」

今度は男の方から聞き返して来た。

「いえ、滅相もない!!
私は秘書でついて来た者ですから…あ、名刺お渡ししておきますね」

バッグから慌てて名刺ケースを探し出し、
一枚名刺を取り出して、男へ手渡す。

「……ああ、あなたでしたか」

え?と聞き返そうとした時だった。

「どこに行っていたんだ?」

不機嫌な上司の声が勢い良く飛んで来た。

ひゃあ、と彼女が恐る恐る振り返れば、
案の定、斎藤が立ちはだかっている…が、
視線は彼女の隣にいる男を見ていた。

「やぁ、斎藤さん。久しぶり」

部長の知り合いの人だったの!?

隣の男を見て、彼女は再び上司に視線を戻す。

「うちの秘書が世話になっていたようだな」

「ただの世間話をしてただけですよ」

悪びれることなく、爽やかな笑顔で答える男。

「会議は今、休憩中だ。その間に社に送る書類の準備を
しておけ。メモは机の上に置いてある」

「は、はい!!」

彼女は返事をすると、男の方を見て、
「失礼します」と頭を下げ、控え室へと戻って行く。

…あの人の名前、聞きそびれちゃったなぁ…
斎藤部長との関係も…。

どうも仕事上だけの知り合いという感じだけでは
ない気がする。
もうちょっと詳しく知りたかったかも…。
廊下を戻る道すがら、彼女は考えた。

「…いいのか?山川重役がプレゼンをほったらかして、
こんな所で、のんびりしてて…」

「休憩後には、ちゃんと席に着きますよ」

再びフェンスに寄りかかり、

「それにしても可愛い女性じゃないですか、斎藤さん。
でもまぁ、惹かれたのは、それだけじゃないんでしょうが」

斎藤は胸ポケットから煙草を取り出し、

「フン、油断すれば悪い虫が、
どんどん寄って来て、目が離せん。
…お前も含めてか?」

口に銜えると、ライターの火が差し出された。

一瞬、鋭い視線で男を見た後、

「私には、本命がいますから、ご心配なく」
男は静かに言った。

そうだったな…と、
身体を傾けると煙草を寄せ、火を点ける。

蓋を閉め、ライターを仕舞うと男は、
煙草を吸っている斎藤を見ていたが、
じろりと睨まれると、余裕で微笑んだ。

「それじゃあ土方副社長も、からかいたくなる訳だ」

「五月蠅い」

「…本当にね」

 

「何か、良い事でもありましたの?」

プレゼンも終了し、机の上で両手の肘をつき、
指を組んで、山川は考えているところだった。
面を上げれば、女性が立っている。

「登勢子さん…やっぱり分かるかい?」

「ええ、あなたが上機嫌だと、よぉく分かります」

抱えて来た書類を手渡しながら、

「久しぶりに斎藤部長に、お会い出来たせいですか?」

「まぁ…それもあるけど…」

「お連れになっていた秘書の方?」

うん、よく分かったね…と頷けば、登勢子は羨ましそうに漏らす。

「私が、斎藤部長と秘書の方をご案内しましたから。
それは大事になさってましたものね…斎藤部長。
面には出さないようにしてたみたいですけれど」

「いや、そうじゃない」

登勢子が意外そうな表情を見せたので、

「私が登勢子さんを大事にしてる程には、
到底及ばないですよ」

まぁ、…と頬を染めた登勢子に穏やかに微笑む。

そういや自己紹介も、まだだったな…。

今度何かしら、用事でも作って斎藤と…あの秘書のところへ会いに行こうと
思った山川であった。

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あとがき

ぱっCさんから、スーツの山川さん&登勢子さんを…vと、リクエスト
頂きまして、書いてみました…が、イメージが…イメージがぁ〜(涙)
山川さん夫妻ファンの方、申し訳ありませんっ!!
残されている山川さんの写真見ても、
お髭が似合うハンサムな方ですものねぇ…。
一方、資料館で見た会津の女性達の肖像画も、
これまた美しい人が多いですから、
登勢子さんも相当な美人さんだったと(勝手に)想像しました。
匂うが如き君…そんな言葉が似合う二人だと思います。


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