斎藤さんて、本気で人を好きになった事って、あるんですか?
――数年前の事になるか…尋ねられた言葉だった…
藪から棒に何故、そんな事を聞いてくるんだ?と言ってやれば、
そいつは、
ただ、何となくですよ…と、
いつもながら万人受けするであろう人の良さそうな笑みで微笑む。
いつまでも答えを待っているので、仕方なく束の間考えた後、
女に不自由は、していない、と答えれば、
今度は、
分かってないなぁ…などと、
さもこちらを憐れんでいる顔をして、
そんなんじゃ、恋もした事ないんですね…などと言ってきた。
恋や愛なんてのにうつつをぬかし、
感情が入れば、尚の事、ただ煩わしい。
自制心を失うなんぞ、真っ平御免だ。
そんな労力使うくらいなら…そう言ってるのに、ふいに遮られた。
斎藤さんは一途な人だと思いますよ。
このままじゃ、ますますつまらない人間になってしまうでしょうし、
大丈夫かなぁ?
でも、いつかそんな人が現れたら、あなたは、どんな風になるんだろう…?
その時は、何を言っているんだか―――
と、
まるで取り合おうとしなかった。
現在は――――?
傍らを見下ろす。
両手を合わせ、何事かを熱心に祈っていた様子だったが、
ようやく願い事を終えたようで、彼女は目を開いた。
「何を願っていた?」
自分が見つめられていた事が分かって、彼女の顔が少しだけ赤くなった。
「給料が上がるようにか?」
「もう、違いますよ。お正月から物欲にかられたりしません!!」
そう言ってから、少し躊躇う表情になる。
「……秘密です。願い事を言ってしまうと、何だか叶わなくなりそうだな…って。
部長は何をお願いしたんですか?」
「言えんな」
「今年も美味しいお蕎麦がたくさん食べられますように…ですか?」
「………違う。だが、お前が話すなら、教えてやってもいい」
「分かりました。もう、聞きません」
そう言いつつも、明らかに未練たっぷりといった表情になっているので、
苦笑し、身を寄せると彼女の耳元で低い声で言った。
「今年も、たっぷりとお前を虐められるように、と。
いろんな意味でな」
さも意味深に囁き、離れざまに、すばやく耳に口付けた。
「え、え〜と、破魔矢を買ってきますからっ!!」
真っ赤になり、耳を押さえたまま、
大急ぎで人混みの中へと消えてゆく彼女を斎藤は
面白げに見た後、目を伏せ思いめぐらせる。
どうしようもなく愛しくて、ついからかってしまう。
自分が一途か、どうかは知らないが、
いつまでも手放したくない。
そんな感情があることだけは、確かだ…
破魔矢は口実で本当は、
その脇に置いてある戌が描かれた絵馬が
彼女の目当てのものだった。
何となく、一緒に買ってしまったが…。
後ろを、そっと振り返り上司がいない事を確かめると、
筆を借りて、願い事を書き込んでみる。
『今年もあなたと一緒にいられますように…』
「『いつまでも…』じゃ何だか大きい願い事になっちゃうから、
これなら、いいよね」
来年も同じ願い事を自分は祈っているだろうか?
そうであって欲しい…
絵馬を掛け、彼女はもう一度、熱心に手を合わせたのだった。