「なんだ、奴は、いねぇのか?」
良く通る男の声がした。
名刺の整理をしていた
彼女の頭上から聞こえてきたのだ。
背の高い男が、
いつの間にかドアの所に立っているのにも驚いたが、
彼の整った顔立ちを見て、
彼女は更に驚いてしまった。
上等な背広の上着を皺になるのも構わず肩に担いで、
部屋に入って来るや、
彼女の机の上に広がる名刺を一枚取り上げ、
目を細める。
「フン、いつの間に来たんだか・・・。報告なんざ、なかったじゃねぇか」
それだけ言うと、
ぽいっ、と投げ捨てて、返して来た。
「あ、あの…お客様。
申し訳ありませんが、斎藤なら、只今、席を外しております。
お急ぎでしたら、呼び出しますが…」
確か、接客の予定は、一件も入ってなかった筈なんだけど?
彼女は頭の中で今日のスケジュールを思い返していたが・・・
「お客様?へぇ、あんた、俺の顔知らねぇのか?」
いきなり彼女の顎をつかむと、端正な顔に近づけ、
彼女の顔を品定めするかのように、
熱心に見下ろしている。
「あ、あの・・・?」
「ふぅん…あいつの趣味も悪かねぇな。
さぞかし、あんな奴の秘書は大変だろう?
俺の所に来させてやってもいいぜ。
ここよりは遙かすぎる程、ましな条件だ」
「は?」
あんな奴って・・・斎藤部長の事?
そう考えている間に今度は背中に手が回り、
彼女は、そのまま男の方に抱き寄せられてしまった。
え?え?え?
状況についていけず彼女は固まったままだったが…
「どうだ?」
彼女の指に唇を押し当ててきたところで、
ようやく我に返り、男から離れようとした途端、
「人の部署で何をしてるんです?」
その声を聞くや、舌打ちし、
男は彼女から離れた。
「ったく、少しは気を利かせろよ、斎藤」
「いつも…してますが」
『いつも』の部分が、
やけに強調しているように彼女には聞こえた。
「今回ばかりは、黙っちゃいられねぇってか。
…へぇ、成程な」
呆然としている彼女の方を見、
ニヤリと笑うと、今度は斎藤に向かって、
よこせ、と人差し指と中指を上げてみせる。
溜息をつきながらも斎藤は、
自らの胸ポケットから煙草を取り出し、
男に煙草を一本、抜き取らせた。
次に
ライターの蓋を開け、
火を灯してやる。
二人の男の仕草を
どこか惹きつけられて見てしまう彼女だった。
ふう、と煙を吐き出した時、
「それで何の用です?」
「あぁ?別に用はねぇぜ。
たまたま寄っただけだが、
そこで思わぬモノ見つけちまった」
ますます眉に皺を寄せる斎藤の顔を
面白げに眺めると、
「じゃあ、またな」
最後に彼女を意味ありげに見て、
部屋から去って行った。
「……部長、今のは、どなたですか?」
「うちの社の…土方副社長だ」
「えっ!?あんなにお若いのに…」
初めてお会いしました。すごい方なんですねぇ・・・
などと関心している秘書に半ば呆れつつ、
またも溜息を吐く。
全く・・・
「俺がいない間、迫られていたようだが?」
自分の煙草とライターを胸ポケットに戻しながら、
呟いたが、
「え?」
言葉がよく聞き取れず、
彼女は聞き返そうとしたが、
すでに上司は自分の部屋へと引き上げた後だった。
「フン、これからは迂闊に一人にさせとく訳には、いかんな」
上着を脱ぎながら、知らずこぼれた言葉。
あいつも厄介な人に目をつけられてしまったものだ…
ガラスごしの彼女を見る。
さて、どうしたものか…
また一つ心配の種が増える斎藤だった。