□第三話
「何ですか!?ぼっちゃま!!その娘子は!?」
夕食の支度の準備に取りかかっていたようで、
ヨネは夏野菜の入った籠を手にしていた。
帰って来た土方を玄関先まで出迎えに来たのだが、
彼が抱き上げている女の姿に大層驚き、
立ちつくしてしまっている。
「………拾ってきた」
他にどう説明すりゃ、いいんだ?
「そんな犬や猫では、ありませんよ。
どうして、そのような事態になったのか、お尋ねしているのです!!」
土方にしてみても、この女が何故あの場所にいたか、
ましてや、生い立ちや境遇など全く知らないのである。
しかし、あのまま放っておいて帰って来る訳にもいかず、
結局、連れて帰るしかなかったのだ。
「とにかく、今はこいつを寝かせてやるのが先決だ。
下に空いてる和室があったよな」
「全くもう、ぼっちゃまは、どうしてこう…」
不満ありげに言いながら、土方に言われた通り、
ヨネは部屋へ布団を敷きに行く。
「土方さん、その女の人、どうしたんです?
まさか気に入ったから、攫ってきちゃったんですか?」
「人をかどわかしみてぇに言うんじゃねぇ!!
日射病にかかったみたいなんで、その時、一人っきりだったから、
連れて来たんだよ。
周りには誰もいねぇし。
そのままにしておく訳にも、いかねぇじゃねぇか」
「へぇ…女性には優しいんですよね、土方さんて。
会社の人が知ったら、さぞ驚くだろうなぁ…。
ああ、会社の女性には優しいか…」
「無駄口、叩いてねぇで、
てめぇは、さっさと水枕とか氷嚢を持って来い!!」
「はい、はい」
靴をぞんざいに脱ぎ、和室へと彼女を抱き上げたまま
運ぶ土方だった。
「ぼっちゃま、布団を敷きましたので、こちらへ」
「ああ」
出来るだけ動かさないようにと気遣い、静かに彼女を布団へ
下ろし、薄地の布団を掛けてやる。
女は、目を閉じたままだった。
「はい、持って来ましたよ」
沖田から氷嚢と水枕を受け取った土方は、彼女の首の下に
水枕を置いてから、額の上に氷嚢を当ててやった。
「大丈夫なんですかね?このお嬢さん」
「強度の脱水症状起こしてる風には見えなかったが…。
起きたら、水分を取らした方がいいかもな。
とにかく目を覚ますまで寝かしといてやれ」
「私が何度か様子を見に参ります」
意外な台詞に驚き、ヨネの方を見た土方は、
「すまねぇな…」と礼を言ってみたが、
「この娘子が不審な者でないか、確かめる為にするのです」
「……ああ、そうかよ」
礼を言って損した…と、土方は思った。
「その前に帯だけでも何とかしましょう。
きつく体を締めつけてるでしょうし」
布団をめくって帯に手をかけた時、ふと気づいたように
ヨネは振り返り、土方と沖田を睨む。
「お二人とも…」
「どうした?」
「殿方は、部屋から出て行ってくださいまし」
「土方さん、出ましょう」
沖田がいち早く気づき、土方の肩を叩いて促したが…
「あぁ?何でだよ?」
「女の着替えをそこで見物しているおつもりですか?」
「別に構わねぇじゃねぇか。減るもんじゃねぇし、
むしろ、見慣れてるぜ」
「ぼっちゃま〜〜〜っ!!!!」
ヨネの怒声に二人共、部屋から叩き出されてしまった。
「全くもう、土方さんが余計な事を言うから、
私まで、とばっちりを受けたじゃないですか」
台所の冷蔵庫からオレンジジュースを出して、
コップに注ぎながら沖田は一緒にされて不服だ、と言わんばかりである。
「俺は正直に答えただけだぜ」
飛んで来たビール缶を受け取ると、
プルタブを引き上げて開け、土方は一口飲んだ。
「相手が、おヨネさんだって事、忘れないで下さい」
「フン」
「それよりも…あの女の人、どうするつもりなんです?
警察に届けないんですか?
おヨネさんも、その心積もりでいるようですよ」
土方は首を揉みながら、溜息を吐く。
「今日、着いたばかりだってのに、いろんな事が
ありすぎたな。追い追い考えてくから、
夕飯、食わせてくれ。とにかく腹が減った」
沖田は、ガスレンジに上がっていた鍋の蓋を、ひょいと上げる。
「ああ、ヨネさんがカレーを作ってくれてましたよ。
わぁ、シーフードだ!!」
子供のように嬉しそうに笑う沖田を見て、土方は苦笑いした。
「お前は、そういうトコ、昔から変わらねぇな…。
酒は飲めねぇクセに、
菓子だの、甘いものには今も目がねぇんだろう」
「土方さんは、あまりお酒には強くないクセに、
そう見えるようにしているんでしょう?
斎藤さんの爪の垢を煎じて飲ませてもらったら、どうです?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。あの野郎は単に、ウワバミなだけだ」
斎藤の顔を思い出してしまい、土方は眉間に皺を寄せながら、
持っていたビール缶を口に呷る。
「斎藤さんか…。いつだか、言った事があるんですよ。
『本気で人を好きになった事って、あるんですか?』って」
皿によそった良く炊けた白米の上にカレーをかけて、土方に
渡しながら、沖田は思い出しているような口調になった。
「当時は…う〜ん、斎藤さんて全身刀のような雰囲気を
持っていた感じだったでしょう?」
「それで、何て答えてた?」
「『女に不自由は、していない』
まぁ、それは事実なんでしょうが…」
「けっ!!言ってやがれ」
悪態をつく土方。
「だから、『そんなんじゃ、恋もした事ないんですね』と、つい正直に
口を滑らせました」
土方も数年前までの斎藤を思い出してみた。
記憶に残っている部下は、沖田の言う通りだ。
昔から仕事は出来るのだが、
どうも人間味に欠けすぎている…そんな傾向が、あった。
「だがよ…今は、奴も大分変わったぜ。
むしろ気抜けして、刀に錆が生えてこなけりゃいいが…」
「ああ、例の秘書さんですか…会ってみたいなぁ…。
どんな女性なんです?」
「この俺が何度も誘ってるのに、簡単には落ちねぇ女だ。
あの野郎が過剰すぎるくらい目を光らせてる所為もあるけどよ。
ったく、毎回、邪魔しやがって…。
言っとくが、総司。余計な事するんじゃねぇぞ?」
「ええ?何の事です、土方さん?」
自分用に用意したカレーを沖田はスプーンで頬張り、
おヨネさんの作ったものは、やっぱり美味しいなぁ…とまた、無邪気に笑うのだった。
夕食をすませた数時間後、土方が部屋で
読書をしていると、
外からノックの音がし、ヨネが入って来た。
「ぼっちゃま、先ほどの娘が目を覚ましました」
「具合は、どうした?」
「とりあえず水を飲ませましたが…意識は、はっきりしております」
「そうかよ。…どれ、様子でも見に行くか」
本を机の上に置いてから、立ち上がり部屋から出ようとしたが…
「総司さんが先に行っておりますけれど…。しかし、何度尋ねても、あれでは…」
「?」
ヨネは、私は、お手上げでございます、
そう言って両手を挙げてみせた。
土方が和室に入ってゆくと、沖田が困りましたねぇ…と
布団の傍らに座って、首を傾げている。
女は、もはや寝ておらず身を起こしていた。
ヨネが貸してやった藍染めの浴衣に着替えており、
束ねていた髪は下ろし、顔を俯かせている。
「目が覚めたんだな」
土方が入口から声を掛けると、女は、ゆっくりと顔を上げ、
彼を見つめた。
細い面立ちである。
「ご迷惑をお掛けしました」
「それは構わねぇが…、あんた一体、どこから来たんだ?」
沖田が座っている反対側に、土方も腰を下ろした。
「…………」
「名前は?」
「…………」
「私も、おヨネさんも、さっきから、それを聞いてはいるんですけどね…」
女を見ながら沖田は説明したが、
本人は、相変わらず無言のままであった。
そんな状態に焦れて、土方が舌打ちし、
苛立ち混じりの口調で言った。
「おい、生憎と、こっちも気が長ぇ方じゃねぇんでな。
黙ってちゃあ、何も分からねぇぜ。
さっきは口を利いたんだから、話すぐらい出来るんだろう?」
「この近くに身内の人とか、親戚とかは、いないんですか?」
と、沖田が優しい口調で尋ねてみても、
「おりません」
それだけ答え、また口を閉ざしてしまった。
「………拉致が明かねぇな」
吐息を吐いた土方は、
ふと脇に広がるように掛けられている白い着物に目をやった。
女が着ていたものだ。
下方に目をやれば、やはり身に纏っていた帯が丁寧に畳まれてある。
見つけた時、この女は泣いていた。
女が意識を失った後、
思わず流れている涙を拭ってしまったのだ。
身分を示す物など、ないようだ。
そういえば、転がっていた白の日傘は置いてきたな…と
土方は思い出しながら、呟く。
「そりゃあ、人には言えねぇ事情が、幾つかあるだろうが…」
「土方さんみたいに、たくさんある人もいますしね」
土方が顔を向け、じろりと睨みつけた。
「やかましいぞ、総司!!」
「やはり、ここは警察に届けるべきです。ぼっちゃま」
ヨネの『警察』という言葉を聞いた途端、女は体を強張らせた。
その反応を土方は見逃さない。
「どうした?警察沙汰には、したくねぇのかよ?」
「……私、明日出ていきます。ですから…」
「そうは、言っても…行く当てなんて、あるんですか?」
女は、何とかなります…とだけ答えた。
「そうですか。それでしたら今晩だけ…」
すっかり安心したようなヨネの言葉を遮って、
それまで腕を組んで考えていた様子の土方が
口を開いた。
「ここに、居ればいい」
「歳ぼっちゃま!?何て事を…。ご冗談も大概になされませ」
「俺は本気だぜ。総司、お前は、どう思う?」
「私も異論はありませんよ」
あっさりと沖田は同意する。
「そんな…総司さんまで…。
こんな身元不明の人を一緒に置いておくなどと…」
「おヨネ、最初に約束したよな?くれぐれも俺の邪魔は、しねぇと。
すっかり忘れちまったのかよ?」
「私は、知りませんからね!!何事か起きてしまっても」
すっかり頭に血が上ったヨネは、部屋から出て行ってしまった。
「あ〜あ、おヨネさんを怒らせちゃった…」
「何、怒っても、しばらくすればケロリと
しているんだぜ」
子供の頃に、よく怒鳴られたものだけれど、
いくら怒られても、その時だけで、
後腐れなく、さっぱりとした性格のヨネを、
土方は良く理解していた。
「名前を…考えなくちゃ、いけませんよね?」
ぽつり、と言った沖田を土方は見る。
女もまた、沖田を見つめていた。
「名前?」
「この人のですよ、名無しのままじゃ、
呼びようがないじゃありませんか?」
「それもそうだな…本名は明かさねぇ様子だし…」
土方が視線を向けたが、女は、ためらうように、
彼から目をそらす。
「………『沙羅』なんてのは、どうだ?」
「へぇ…響きが良い名前じゃないですか」
沖田が言うと、そらしていた目を土方に戻した女は、
おもむろに口を開く。
「『沙羅双樹の花の色』の『沙羅』…ですか?」
「ああ、さっきまで『平家物語』を読んでたからな…。
時期も夏だしよ。気に入らねぇなら…」
「いいえ…、ありがとうございます」
『沙羅』と名付けられた女は頭を下げた。
それから数日が過ぎていた。
ヨネと一緒に朝食の準備をする沙羅を土方は、
庭から見ている。
最初、身の上を一切語らない彼女に警戒心を抱いていた
ヨネも食事の支度や、家事を一所懸命にこなす彼女の姿を見て、
それも少しずつ解けていっている様子だった。
沙羅の方は、
日常的な会話もしているし、時折、小さく笑顔も見せるようになったが…
「土方さん、どうしたんです?」
毎朝、幼少より欠かす事なく続けている木刀の素振りをしながら、
考えにふけっている土方に沖田が尋ねてきた。
「何でもねぇ。それより総司、
大学出たら、どうするつもりなんだ?」
「急に親みたいな事、聞いてくるんだからなぁ…。
まだ考えてませんよ」
振り向き様に、見えない程の、すばやい突きを出しながら沖田が
答えれば、
「うちの会社に来な」
「嫌です」
「てめぇ、即答すぎやしねぇか?」
文句を言う土方を横目で見、
沖田は、振り続ける。
「そんな会社に入っちゃったら、土方さんや斎藤さんに、
とんでもなく扱き使われるに決まっているじゃないですか」
「俺は本気で言ってるんだぜ」
ふう、と一息吐き、木刀を振る事を止めた沖田は、
汗を拭く為にテーブルに置いてあったタオルを手に取って顔を埋めた。
「四日…過ぎましたよ、土方さん」
「あぁ?ごまかすのに、話の矛先、変えるんじゃねぇよ」
「私の方は、まだ時間があります。だけど、土方さんは副社長だ。
いつまでも会社を放っておく訳にはいかないじゃないですか?
斎藤さんや他の人達だって、副社長が不在という事で、
毎日、大変な被害を被っているでしょうしね?」
「フン、上司不在時に、
その始末ぐらい出来ねぇような部下は必要ねぇんだよ。
…朝飯、そろそろ出来たようだぜ」
やれやれ、この人は私以上に子供みたいなところが、あるクセに…
沖田は家へと入ってゆく土方の
後ろ姿を見ながら、困ったように笑うと、
首にタオルを垂らして自分も後からついてゆく。
「ぼっちゃま、総司さん、そろそろ呼びに行こうかと思っていた
ところです」
折良く入って来た二人を見て、嬉しそうにヨネは微笑む。
「沙羅さん、その服、似合ってますよ。
さすが土方さんの見立てだけ、ありますね」
白地に明るい花柄のワンピースを着た沙羅を見て、
沖田は笑顔で言った。
沙羅は軽く頭を下げ、茶碗を持ってきたところだった。
若い女物の服など別荘には、なかったので、
わざわざ買いに行って、用意したのである。
沙羅は浴衣さえあれば必要ない、と断ったが、
土方に無理矢理押しつけられたのだった。
「珍しいな、総司が褒めるなんて…」
「私だって、完全に野暮天って訳じゃないんですよ。
それにしても、今日も暑くなりそうだなぁ。
あ〜あ、大学のレポートまだ終わってないや…」
うんざりするように言った沖田の様子に、ヨネは笑い、
つられるように沙羅も微かに笑ってみせたのだが…
「おかしくもねぇのに笑うなら、それは不要ってもんだ。
そう思わねぇか?」
テーブルに肘をつき沙羅を見上げながら言った土方を
ヨネと沖田は驚いた表情で見る。
「ここ数日、あんたを見ていたが…
どうも、うわべだけで笑ってるようにしか、見えねぇぜ。
笑い方さえ、忘れちまったのか?」
「ちょっと、土方さん」
沖田が止めに入るが、土方は耳を貸そうともせず、
続ける。
「どうなんだ、沙羅さんよ?」
沙羅は、唇を噛んで、呆然と土方を見ていたが、
痛々しい声で問いかけた。
「私…、そんなに笑っていませんでしたか?」
やがて目を伏せると身を翻し、沙羅が出て行ってしまうと、
無言で茶碗を出していたヨネは、
わざと不愉快な音を立てて、置いた。
「泣かせたのかと、思いましたよ」
責めるような口調で沖田が呟いた。
自分の部屋用にと、使わせてもらっている和室に
沙羅は戻って正座をし、相変わらず掛けられたままの
白の紗の着物を見つめていた。
ここに来てから、袖は通していない。
裾に手を伸ばすと、自分の頬に押し当てて、目を閉じた。
目を開けた時、鏡台の蓋が開いているのに気づく。
鏡に、自分自身が映っている。
どこまでも、そっくりだ。
だけど…あの人が見ていたのは本当に私だったのだろうか…。
あれ以来、どれだけ自分を隠し、偽ってきただろう?
「沙羅さん?」
はっ、と振り返れば、戸口に沖田が立っていた。
「すいません、びっくりさせちゃいましたか?
…ええと、大丈夫…ですか?」
「沖田さん…すいません…さっきは飛び出してきたりして」
着物から顔を離すと、立ち上がる。
「いいんですよ。あの…土方さんの事なんですけどね。
口は悪いですが、根は悪い人じゃなくて…う〜ん、むしろ良い人すぎるんだよなぁ…。
世間じゃ鬼の副社長なんて、言われてますけど。
まぁ、気にしないでやってください」
「長いおつきあいなんでしょうね。少しだけ、おヨネさんから
聞きました」
「ええ、子供の頃からの腐れ縁ですよ」
「お兄さんみたいなんですね…」
沙羅が羨ましそうに話すので、つい何気なく沖田は聞いてみた。
「沙羅さんは、そういう人いないんですか?」
「……私は」
表情が変わった沙羅を見て、慌てて話題を変える。
「ああ、すいません。
それより…これを土方さんに届けてくれませんか?
私が渡すと大声で怒鳴られそうですから。
自分で庭に置いていったクセにね」
ふふ、と渡された時の土方を想像したのか、
愉快そうに笑う沖田を見て、沙羅は訝しげに手渡された物を見つめた。
「畜生っ!!!!一体、どこに行きやがった!?
俺の『句帳』はよっ!!」
さっきから、ソファのクッションをひっくり返してみたり、
机の引き出しを開けて、乱暴に中身を取り出してみたが、
まるで見つからない。
「総司の野郎が、持ち出したんじゃねぇよな?」
前髪を何度も掻き上げて、一人騒いでいた土方だったが、
ドアをノックする音に、不機嫌そうに答えた。
「悪ぃが、今、とりこみ中なんだ!!用事なら、後にしろっ!!」
「あの…」
ドアから沙羅が顔を出すと、意外な訪問者に土方は頭から手を離し、
驚いて見る。
「あんたか…」
散らかった部屋を見て、沙羅は唖然とした様子に、
土方は、わざとらしく空咳をした。
「見ての通り、ちょっと探しものがあってな」
「もしかして…これの事じゃないでしょうか?」
沙羅が出した和綴じの本を見て、土方は愕然とし、
素早く、取り上げる。
「な、中身、見たのかっ!?」
「…少しだけ、見ました。
沖田さんが庭にあったから、土方さんに届けて欲しいと
頼まれて」
「あの野郎…俺が必死に探してるの気づいていやがったクセに…」
これ程までに動揺した彼を見たのは、初めてである。
「俳句、作られるんですか?」
「………さぞかし下手だと思っただろうな」
「そんな…『季語』が抜けてるのが、いくつかありましたけど」
「結構、見たんじゃねぇか」
そっぽを向いて、赤くなった土方を見ていたが、
やがて、くすくすと沙羅は笑い出していた。
「何だ…、ちゃんと笑えるじゃねぇか、あんた」
「え?あ…」
知らないうちに、笑っていた自分に沙羅は
戸惑いと、はじらいを覚えて両手で頬を押さえた。
「いいぜ、その方がよ…」
沙羅が顔を上げると、すでに土方は背を向けて椅子に座っており、
机の上には白紙の句帳が開いてある。
彼は後頭部に両手を組んだままの姿勢で、
天井を見上げ、俳句が浮かんでくるのを待っている様子だった。
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