scene2




ったく、何をやっているんだか…

眉間を指でつまんで、斎藤は双眸を閉じた。
昨夜は、ほとんど寝ていない。
原因は…あの女、だ。

香りも声も仕草…何もかも、全て覚えている。
昨日出会った自分を見て、どういう反応を示すか興味もある。

いつも以上に煙草の数が多いな、と灰皿を見ながら、
斎藤が思っていた時、

部屋のノックがし、総務部の桂木が入って来た。

「失礼します。斎藤部長、お連れしました」

連れてきた女を促し、
これから先、上司となる斎藤を彼女に紹介する。

間違いなく昨日の女だった。

女は、深く一礼し、顔を上げると微笑んで、言った。

「初めまして、斎藤部長。どうぞよろしくお願いします」

「…………初めまして、だと?」

え?と自分は何か気に障る事を言ってしまったのか?というような顔で、
斎藤を見ている。

その場の雰囲気を察したのか、桂木が助け船を出した。

「あ、あら?斎藤部長の事、ご存知でしたの?」

「いいえ…」

そう言って申し訳なさそうに一層、微笑んで答えた。

「一度もお会いした事は…」

……昨日の今日だぞ…
すると、あの時、俺の事は全く眼中になかったと?

斎藤は机上に置いてあったファイルを一瞥し、それを掴んで、
ばさり、と放り投げた刹那、二人の女性は固まった。

「今日中に、これを入力し、細かく整理しておけ。それが初仕事だ」

15センチ以上はあるファイルを見て、
信じられない、という表情になり、
それまで浮かべていた笑みなど、彼女からは跡形もなくなってしまった。
強張った顔のまま、女は上司を見上げる。

ニヤリと嗤い、更に拍車をかけた口調で斎藤は挑発した。

「何だ、これくらい出来ないようじゃ、俺の秘書など、到底、務まらんぞ」

「…分かりました。早速、仕事に取りかかります」

後悔先に立たず──
印象最悪の上司、決定だな。

斎藤は、強く自分を睨みつける彼女の瞳に魅入ってしまった事など、
極力考えないようにした。

 

目を開いた時、かつて見たことがある天井だ、と思った。
自分はこの場所に来たことがある。
以前に…──それじゃあ、ここは…

記憶が鮮明になった時、彼女は起き上がろうとしたが…
身動きが取れない。
よく見れば、誰かの腕が自分の体にきつく絡みついている。

私…抱きしめられて?

体を強張らせた気配で、察したらしい。

「起きたのか?この酔っぱらいが…」

声の聞こえた方に頭を上げると、
鮮やかな琥珀が間近にあったので、息を飲んでしまった。

「部長…、どうして?」

離れようとしたが、一向に腕の力を抜いてくれる気配がないので、
腕の中に閉じこめられた状態だった。
彼女は上司の顔を見つめる事しか出来ない。

「どうして?食事の約束をすっぽかしたのは、誰だ?」

「そ、それは…そうだ!!私ったら、土方副社長の前で、
寝てしまったんですね。どんな顔して、会えばいいのか…」

自己嫌悪に顔を覆う彼女に斎藤は目を細める。

「随分、気に入られたようだしな」

ふいに立ち上がり、彼女から離れると、キャビネットに置いてあった
煙草を手に取った。

「え?」

彼女は身体を起こして戸惑いの表情で見上げる。
斎藤は煙草をふかしながら、冷たく一瞥し言い放った。

「近いうち副社長専属の秘書になる辞令が出るかもしれんぞ」

「…っ、勝手な事ばかり言わないで下さいっ!!
確かに今日は私にも一因があるでしょうが、
そんな意地悪、言うなんて…」

溢れて出て来た涙を悔しそうに拭うと、ベッドから降りる。

「帰ります。お手間おかけして、すいませんでした」

「相変わらず、逃げ出すその癖、
改善したほうが、いいんじゃないのか?」

「部長のその性格は一生、直しようもないんだわ。
でも案外…土方副社長の方が、お優しいかもしれませんわね。
だったら、私は喜んで…」

言い過ぎた、と気づくには遅すぎた。

強く腕を引かれ、あっという間に、ベッドへ押し戻されていた。

「止めて下さいっ!!
いつもそうやって、力で、ねじ伏せようとして…」

彼の前では、どうしても自分は無力なのだ。
涙を含んで、悔しそうに見上げた彼女の瞳が、
斎藤を見た瞬間、驚きに揺らぐ。

「俺が、そう容易く手放すと思っているのか?」

伏した双眸に深い陰りと寂しさ…があった。

「え…?」

「ったく、ガキじゃあるまいし。
成長しない自分に呆れるし、つくづく嫌気がさす。
お前に男が現れるたびに、俺は──」

そこで言葉を切り、双眸を伏せた。

……こういう人なのだ。

時間をかけて少しずつ分かりあって──そうすれば…

彼女は彼の手を取ると、自分の唇へ持っていき、
柔らかく噛んだ。

その様子を斎藤は目を細めて見る。

「誘っているのか?」

「仕返し…です」

やがて背に手を回し、囁く。

「私は、どこにも行きませんから…大丈夫…です」

その言葉を聞いた途端、斎藤は口端を上げ、
どこか懐かしそうな笑みを浮かべた。

「ああ…そうだったな」

そう言うと、瞳を閉じている彼女の唇を塞ぐ為に、
身を屈めた。


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