お風呂上がりに、洗面化粧台の脇に置いてある
ソレに目を止めてしまった。

そういえば、ここしばらく使ってなかったなぁ…。

少しの間、逡巡していた彼女だったが、
覚悟を決めてソレの前に立ち、そっと片足ずつ載せてみる。

「う、嘘っ!?」

バスルームに奇声が上がっても、
体重計の針は、そのまま容赦なくありのままの数字を指していた。

「……た、タオルの分もあるかもしれないし。
これ…割と厚手の素材だしね」

身体に巻き付けていたタオルをバスケットに置いて、
まじまじと体重計に目を凝らして見たが、さして変わらなかった。

「2キロも増えてる…」

そういえば───スカートのウエストもきつくなった…?

更にクリスマスの時、

「よくそんな甘い物が食えたもんだ」

クリスマスケーキを美味しそうに頬張る彼女を見ながら、
頬杖をついた上司が呆れ顔で言ってた事を思い出す。

年末に重なる忘年会があったのも、原因だったのかもしれない…

自らの食生活を思い返し、深い溜息を吐く彼女。

社内を上司と歩いてて、

「あら、斎藤部長と一緒に歩いていたのは秘書の方だったの?
雪ダルマかと思ったわ。おほほほ」

────なんて事になったりしたら!?

女性社員達に笑われる様子を一人妄想し、青ざめる彼女であった。

「とにかく、このままじゃ駄目よね!!」

 

細すぎる…どこからどう見ても、細いなぁ…

「何を睨んでいる?
今まで説明した事は、ちゃんと頭に入ったんだろうな?」

上司の言葉に、はっと我にかえった彼女は慌てて頷いた。

「は、はいっ!!申し訳ありません。
ちゃんと聞いていました」

つい、じろじろと食い入るように斎藤を見てしまっていた彼女は、
慌てて持っていた書類にペンで書き込むフリをしてみせる。

───部長って、手首といい、背中から足まで、スーツごしでも、
はっきりと分かる均整のとれた体型をしてるなぁ…。

どうして何食べても太らないのかしら?
お酒だって酒豪だし…。
やっぱり蕎麦が効いているのかなぁ…?

つい羨望と、僅かながらの妬みも混ざってしまう彼女だった。

「こんな時間か…」

斎藤の言葉に彼女も机の置時計に視線を流して見れば、
午後12時を過ぎている。
昼食の時間なのだが、彼女は小さく溜息を吐く。

お腹空いた…
あれから三日目…ロクに、ご飯も食べてないんだっけ…
でも、頑張らなきゃ…

「顔色が優れないようだが?」

ひやりと冷たい感触が頬に触れたので、
猫が水を浴びたように彼女は飛び上がった。
いつの間に立ち上がった斎藤が、
自分の至近距離にいる。

「い、いいえっ!!そんな事ありません」

強く否定し、首を振りながら後ずさりする彼女。
そういえば、と斎藤が口を開いた。

「取引先の営業が来て、みやげを置いていったぞ」

軽く首で示した先のテーブルの上には、白い箱が置かれていた。

開けてみろ、という斎藤の言葉に従い、
彼女が蓋を開けてみれば、
フルーツや生クリームの素材がふんだんに使われ、
見ているだけで涎が出てきそうなスイーツが10個ほど、
詰められている。

どうしてこういう時に限って……

「人気の店だかで、
なかなか手に入らない菓子だそうだ」

「…部長は、お召し上がりにならないですよね?」

「嫌がらせか?」

愚問だ、とばかりに一蹴する斎藤。

「そう…ですよね…」

じぃ〜っと箱の中の物を見ていた彼女だったが、
再び、蓋を閉じた。

「何だ、食わんのか?
いつもなら甘い物を見ると見境なく食ってるのに。
自分の分は必ず取ってから、他の課に廻しているだろう?」

「……ちょっと食欲がないんです。
甘い物、食べたくなくて…」

箱を持ち上げ、部屋から持ち出す彼女を
訝しげに斎藤は見る。

パタン、とドアを閉めた後、

本当は、ものすご〜く食べたいんですっ!!!!!

心の中で叫んでも仕方ない事で、
彼女は、泣く泣く他の課へケーキを届けに行くのであった。

 

食べていないのに、なかなか体重が減らないしなぁ…
また体重が増えちゃったら、どうしよう?
お腹が空くと、
何だか心まで暗い方に向いていっちゃう気がするかも…

昼食は、納豆と豆腐だけ食べた彼女だったが、
食べたという満足感がない。
総務の桂木さんが、
「ちゃんと食べなさい」って言ってくれたけど…

昼食の時間を思い出しながら、
ふらふら、と資料を手に
社内廊下を彼女は歩いてゆく。

「副社長、お帰りなさいませ。
今日中には以前渡しておいた書類を全て見て下さいよ」

「明日の会議の時間が早まりましたので、
副社長のスケジュールの調整をしませんと」

「この件に関しましては、
どうしても副社長の決裁が必要でして…」

「取引先のパーティが何件か入っております。
各々の出席は、副社長、いかがなさいましょうか?」

外出先から戻って来た土方の周囲には、
待ちかねていた社員達が殺到し、
それぞれが注文を述べまくる。

「はい、はい、分かってるよ。
ったく、何だって師走になると、こうも忙しいのかねぇ…」

苛立ちまぎれに、額にかかる前髪を掻き上げながら、
ふと視線を上げた先に、
斎藤の秘書である彼女が、しゃがみ込んでいる姿を捉えた。
どうも様子がおかしい。

「あっ!?副社長、どちらに行かれるんです!!
お逃げになっても、無駄ですよっ」

その場から突然、駆け出した土方に社員も
一斉に追いかける。

「馬鹿野郎、逃げやしねぇよ!!
急病人かもしれねぇのに、放っておけるか!!」

社内の医務室に斎藤が入って行った時には、
土方がベッドの脇に座って、
眠る彼女に付き添っていた。

「やっと来たか、遅ぇんだよ」

それには答えず、土方とは反対側のベッドの脇に立つ。

「最初は年末の忙しさと、
この一年、ロクでもねぇ上司にコキ使われてた疲労から
貧血でも起こしたのかと思ったぜ」

「でも、違っていたようですね…」

カーテンを除けて入って来たのは、白衣を着た女医である。
社内かかりつけの医者だった。

「確かに疲れもあったのでしょうが、
どうやら、空腹のせいかと…。
診察しましたが、他に悪いところも見つからなかったので」

苦笑いしながら、説明した。

「空腹?」

眉を寄せる斎藤に、
土方は腕組みし、椅子の背もたれに寄り掛かりながら、

「ここ数日、お前のところの秘書は、
ほとんど食ってなかったらしい。
昼食に一緒だった総務の桂木女史にも確認取った。
何か食べた方が良いと忠告したが、断固として、
豆腐と納豆だけで通したみたいだぜ」

「阿呆が…」

小さく呟く斎藤に、土方は肩をそびやかした。

「本当に、女心ってもんを分かっちゃいねぇな」

「どういう意味です?」

凍りつくような二人の雰囲気を察した女医は、
慌てて割って入り、

「この時期には、どうしても食べてしまうんでしょうが、
急激なダイエットはおすすめ出来ませんと、
秘書の方にお伝え下さい。
適度に食べて、運動していれば、
体重も減るでしょうし」

「家に連れて帰っても?」

差し支えはない、という女医の許可を貰うと、
斎藤は彼女を静かにベッドから抱き上げた。

「寝てる時は、過保護なんだな」

土方が思わず漏らしても、冷たい一瞥をくれただけで、
女医が開けた医務室のドアから
斎藤は、そのまま出て行った。


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