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何だろう…煙草の匂いがする…?
彼女が目を開けてみた時、自分の部屋ではなかった。
夢かな…?
そう思って、再び瞼を閉じると、どこかで見た室内だと思い出して来て、
すぐさま起き上がった。
「ぶ、部長!?
あの、どうして、私が此所に?
会社で仕事をしてた筈では……?」
「会社で、ぶっ倒れた所に副社長に医務室まで運ばれ、
そのまま俺の部屋まで連れて帰った」
すらすらと静かに説明する斎藤は、
すでに上着を脱いでおり、ソファに座って煙草をふかしている。
「そ、そうだったんですか…。
その…また…ご迷惑をかけてしまいました」
頭を下げ、謝る彼女。
「全くだ」
ベッドが揺れ、
驚いて面を上げれば、
すでに斎藤がベッドに腰をかけていた。
「ど阿呆っ!!
食事もロクに取ってないとは、一体何を考えている?
力が入らず、ぶっ倒れるのも当然だ」
斎藤は険しい声を出す。
すっかりばれている事に真っ赤になった彼女だが、
思い切って、言い返す。
「だ、だって、このままじゃ、私…雪ダルマさんに、なっちゃいますよっ!!
部長だって、太ってる秘書なんて連れて歩きたくないでしょう?」
「…何故、『雪ダルマ』が出て来るんだ」
「何なら、赤ダルマにしますか?」
「くだらん、紅白の問題じゃないだろうが」
軽く溜息を吐き、
「お前は、そんなに見た目が気になるのか?
必要程度に食べて適度に運動していれば、
戻ると女医も言っていたぞ。
拒食する理由があるのか?」
「……だって………好きな人の前では、
…綺麗で、いたいじゃないですか…」
本当に、女心ってもんを分かっちゃいねぇな…
土方の言葉が脳裏をよぎる。
食えない男だ…
そう思いながら、
斎藤は吸っていた煙草を灰皿で揉み消した。
「お前みたいに、からかい甲斐のある女は面白いからな。
見た目がどうなろうと、構わん」
「…それって貶してませんか?」
複雑な顔で、首を傾げている彼女に斎藤は
ふっと笑った。
だから、これからも手放す気はない。
「…そんなに減量したいのなら、最も効果的な方法を
教えてやる」
「えっ!?本当ですかっ!!」
ぱっと明るい表情になった彼女の現金さに呆れつつ
斎藤はベッドの脇のキャビネットに置いてあった袋を
彼女に渡す。
「今日から普段通り、食を取り、
今、これを食うと約束しなければ教える気はない」
「?」
袋を開けてみると、保温素材で出来た箱が入っており、
それを開けてみれば、白い湯気が立ち、
温まっている雑炊が入っていた。
「えっ?これ…もしかして部長が作ったんですか?」
「阿呆。
接待に使っている料亭の、だ。
とにかく少しでも食って、体力をつけろ」
「はい…」
ぶっきらぼうな口調の反面、
自分の為に用意してくれた上司の優しさに、
嬉しくて、彼女は、しばらく雑炊を見ていた。
早く、食えと急かされ、
一緒に添えられていた、陶器のレンゲで一口食べてみると、
美味しい…と呟き彼女は、どんどん食を進めていった。
「ごちそう様でした…」
レンゲを置き、脇で見ていた上司に頭を下げた。
「これからは必要最低限の食事は採るだろうな?
こう度々、倒られては、仕事も覚束なくなる」
「はい、約束します…」
「そうか…なら、教えてやる。
優秀な講師も知っているしな」
「これから何処かに出掛けるんでしょうか?
ジムとか、スポーツクラブとか?」
一旦、自分のアパートに戻って着替えやタオルなどを
持って来た方が良いかもしれない…と彼女が考えていると、
「その必要はない」
あっさり否定する斎藤。
「え…?じゃあ、何処で?」
「此所だが」
「此所って…何か用意する物とかは?」
いくらベッドルームが広くても、運動するには、ちょっと無理があるような気もする…
きょろきょろと彼女が室内を見回してみる。
「要らんな。そういうのが好みなら、用意もするが…」
「毎日しないと駄目なんでしょうか?
朝晩やらないと効果がないとか?」
「毎日か…まぁ、それも悪くない。
汗はかくし、体力の消費もかなりするが…」
「時間は、かかります?」
「一晩中でも構わんぞ」
「一晩中!?それじゃあ…疲れ…」
妖しい笑みを口元に浮かべながら、
彼女を見下ろす上司。
その雰囲気に飲まれた彼女の顔が強張っていった。
「で、でも、講師って…インストラクターの人を呼ぶんですよね!?」
「目の前にいる」
目の前って…目の前にいるのは…
「では、今から始めるとするか。早く効果を出す為にもな…」
「おい、まだ大分疲れてるんじゃねぇか?」
「あっ!!副社長…先日は大変お世話になりました」
『先日は…』ではなく、『先日も…』になってる気がするが。
社内を歩いていた土方が彼女を見かけて、
声を掛けてきた。
申し訳ありません…と深々と頭を垂れる彼女に、
土方は頷く。
「ちゃんと、食ってるんだろうな?
病み上がりのやつれた女ってのも、そそられるんだが。
あまり無理しないこった」
「……ありがとうございます。
あの、片付けなければならない仕事がありますので、
失礼します」
ぽっ、と顔を赤らめ、どこか逃げ出すように去る彼女の様子が、
どうにも土方には気に掛かった。
この時期は仕方ねぇのか?
自分の仕事の忙しさも考えつつ、
歩いていれば、
今度は、向こうから彼女の上司である斎藤が来る。
一礼し、そのまま行ってしまうのかと思ったが、
相手は立ち止まった。
斎藤の表情を見た途端、
彼女の疲労の理由を土方は見抜いた。
「相変わらず弱みにつけこんで、
自分の思い通りって訳か?」
「加減は、してるつもりですが…」
では、と背を向けても、後ろに立つ土方の眉を寄せている顔が
見えるようだ。
斎藤は嗤い、秘書が待つ自分の部屋に戻る為、
足を速めていった。
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